これまで長く世界のモータースポーツで活躍を続けてきた、日本のトヨタ。
今回はそんなトヨタのモータースポーツ活動を20年以上も支え続けた名エンジン、3S-Gエンジンのレース史を紹介します。
幻のWRCカーに搭載された新世代エンジン3S-G
従来のトヨタS型エンジンをベースにトヨタとヤマハが共同開発し、80年代中盤に登場した2リッター直列4気筒の3S-Gエンジン。
その後、トヨタのレース史を語る上で欠かせない存在となる、この3S-Gの誕生の歴史は80年代前半まで遡ります。
80年代前半、トヨタの2リッター級スポーツエンジンのモデルは世代交代の時期を迎えていました。
2リッターエンジンとしては直4DOHC2バルブの18Rエンジンがありましたが、82年には1.8リッター直4DOHC2バルブターボの3T-GT、さらには2リッター直6、DOHC4バルブの1G-GEエンジンが登場し、18Rはその役目を終えていました。
しかし、直4エンジンの3Tエンジンは新世代エンジンが登場するまでのあくまで繋ぎ的な存在。
裏では新世代直4DOHC4バルブの2リッターエンジン3S-Gエンジンの開発が進んでいたのです。
3S-GエンジンはトヨタS型エンジンの第2世代、SOHCの2S-Eをベースとし、トヨタとヤマハが共同開発。
ヤマハはシリンダー設計を見直したDOHC4バルブのシリンダーヘッドを開発し、従来のエンジンにくらべより高性能、高出力化を実現したのです。
すると、この3S-GEは1984年、この年マイナーチェンジされた2代目カムリ、姉妹車の初代ビスタに搭載され、初登場。
3S-GEに先駆けて登場していた1G-GE、4A-GEエンジンなどと同様、ペントルーフ型の燃焼室やロッカーアームを介さないアウターシム式の直接バルブ駆動の採用など、新世代の高出力エンジンらしい仕様となった他、燃料噴射システムは当時のトヨタの最新技術である、各気筒独立制御方式を採用、シリンダーブロックは鋳鉄製となりました。
その高いポテンシャルによって、その後のトヨタのスポーツカー、スポーツモデルを始めとした多くの車に幅広く採用されることになったのです。
そして、この3S-Gエンジンはそのポテンシャルや耐久性の高さから、早くもモータースポーツのベースエンジンとして採用されることになります。
当時トヨタのモータースポーツ活動の中心となっていたのは世界ラリー選手権(WRC)でした。
当時のWRCは、82年に発足した改造自由度の高いグループB規定が人気を博しており、世界各国のメーカーが熾烈な開発競争を展開。
トヨタはこのグループBで覇権を争う欧州メーカーたちに対抗するため、ミッドシップ4WDマシンの222Dを開発していました。
この計画ではグループBの規定を考慮し、ホモロゲーション取得モデルとWRC車両のベースとなるエボリューションモデルの2モデルが計画されていましたが、ホモロゲモデルには従来の3S-Gのターボ搭載仕様、エボリューションモデルには3S-Gをベースとしたレーシングエンジンを3S-G改として搭載する予定でした。
しかし、その後重大事故が多発したことからWRCではグループB規定の廃止を決定。
この222Dの開発も中止に追い込まれ、3S-Gが初めて採用された競技車両は、幻のマシンとなってしまったのです。
グループCで活躍した3S-G
お蔵入りとなったグループBの代わりに、3S-Gが初めてモータースポーツの実戦に投入されたのは、グループBと同じく82年のカテゴリ改定によって誕生したグループCでした。
前述の通り、当時のトヨタはWRCを軸にモータースポーツ活動を展開しており、グループCではトヨタ系チームであるトムスが童夢製作のシャーシにトヨタエンジンを搭載して参戦しているという状況で、当初グループCに供給されていた4Tエンジンは、かつてラリーで使用していたエンジンを流用したものでした。
しかし、4TエンジンではグループCでトップレベルの性能を発揮できないことが判明、代替エンジンが求められていたことろ、計画中止となったグループBの3S-G改を流用することになったのです。
こうして、3S-G改は1986年のグループC、トムス86Cに搭載され実戦にデビュー。
86Cに搭載された3S-G改は、市販モデルと異なり排気量2.14リッターに拡大され、シングルターボを備えて600馬力を超えるパワーを発生。
小排気量シングルターボという組み合わせはコストやメンテナンス性に優れ、高オクタン価燃料が認められていた当時の規定にもマッチして、大排気量エンジンを搭載するライバルに引けを取らないパフォーマンスを発揮していました。
86年に富士スピードウェイで開催されたWECジャパンでは、トムスが3S-G用にホイールベースを延長した36Tを走らせ、翌年にF1へステップアップすることになる中嶋悟が、予選で2位以下を2秒以上引き離す走りでトップタイムを叩き出しますが、86Cではなく36Tを使用したことが規定上違反と判定され、タイムは抹消。
その後も語り継がれる幻の世界選手権ポールとなりましたが、高速コースの富士で3S-Gのポテンシャルの高さを見せる結果となったのです。
そして最終的にグループCでの3S-Gエンジンは決勝レースで約680馬力、予選ではブーストを上げ900馬力を発揮。
実戦を重ねる中で改良が重ねられ、進化を続けていました。
しかし、出力を上げていくなかで問題も発生。
4気筒の3S-Gでは、パワーを上げるにつれて多気筒エンジンに比べ排気温度が上がってしまい、タービンへの負荷が大きくなってしまったほか、空燃比を薄くすることが出来ず燃費の面でも不利に。
排気温度の抑制が課題となり、87年のトヨタ87Cに搭載されたエンジンでは、排気管の途中に冷却フランジを設置、エンジン本体と独立した冷却システムを用意して排気温度の低下を実現していました。
すると、この年の全日本スポーツプロトタイプカー選手権(JSPC)では、この87Cが速さを発揮。
惜しくもタイトル獲得はならなかったものの、2勝を上げるなどチャンピオンを争う活躍を見せたのです。
しかし、グループCではこの年を最後にレース専用の高オクタン価燃料の使用が禁止に。
高いブーストをかけてもノッキングしないこれらの特殊燃料の使用により、小排気量ながらハイパワーを実現していた3S-Gにとって、この変更は致命的で、トヨタは翌年から3.2リッターV8エンジンの投入を決断。
3S-GはグループCから姿を消すことになったのです。
しかし、89年からはアメリカ、IMSA GTPに参戦するオールアメリカンレーサーズがこの3S-Gエンジンを搭載。
88年のグループC、トヨタ88Cを参考に製作されたイーグルMk.Ⅲとこの3S-Gの組み合わせは脅威のポテンシャルを発揮し、1991年から93年のIMSAで27戦21勝。
あまりの速さにライバルたちが撤退するほどの強さを見せ、シリーズを席巻したのです。
WRCトヨタ黄金期に貢献した市販ベースモデル
そして、純レーシングエンジンの3S-G改がグループCから姿を消した頃、市販ベースの3S-Gエンジンがモータースポーツシーンで本格的に活躍を見せていくことになります。
グループBが廃止されたWRCでは、車両規定がより市販車に近いマシンで争われるグループAに移行。
トヨタはここに、86年に3S-GTEターボを搭載して登場した4WDのST165セリカ、GT-ROURをベースとしたマシンを88年から投入。
当初はエンジンパワーの不足や信頼性に悩まされていたものの、投入から1年後の1989年のラリー・オーストラリアでユハ・カンクネンが優勝を果たしていました。
更に翌1990年には一気に躍進を果たしシーズン5勝。
そのうち4勝を挙げたカルロス・サインツがドライバーズチャンピオンに輝く結果となり、3Sエンジンのパフォーマンスは世界タイトル獲得に貢献したのです。
そしてトヨタは、グループA時代のWRCで黄金時代を構築します。
1992年にはST185セリカが登場。
このモデルでは、市販モデルで空冷式インタークーラーとセラミックタービンを採用していましたが、ラリーには不向きであったため水冷式のインタークーラーと金属製のタービンブレードを採用した仕様をホモロゲモデルとして用意し、WRCに投入。
この年はサインツが2度目の王座に輝くと、93、94年にはマニュファクチャラーズタイトルとドライバーズタイトルをダブルで制覇しシリーズを席巻しました。
結局、トヨタは翌1995年にリストリクター違反が発覚したことでWRCでのワークス活動を一時休止、黄金期は終焉を迎えることになりますが、3Sエンジンを搭載したセリカの活躍はWRCの歴史のひとつとして刻まれていったのです。
JGTCで王座3回 スープラ伝説の立役者
そして、市販ベースの3Sエンジンがラリーで大活躍を見せていた頃、その後の日本のモータースポーツを支えることになる新シリーズが誕生。
それが1994年に正式に始まった現在のスーパーGTの前身である全日本GT選手権(JGTC)でした。
そしてトヨタはこのJGTCに93年にフルモデルチェンジされたばかりのJZA80スープラでGT1 (GT500)クラスに参戦。
当初は先駆けて参戦していたN1耐久のマシンに近い仕様で参戦を検討しており、エンジンは市販モデルと同様3リッター直6ターボの2JZを採用していましたが、93年に行われたJGTCのプレシーズンレースでは、当時最強を誇っていたグループA仕様の日産 R32 GT-Rに刃がたちませんでした。
そこでトヨタは、94年から正式に始まるJGTCへ参戦するにあたり、92年を最後に世界選手権が廃止になっていたグループCや、同じく93年限りで廃止になったIMSA GTPイーグルMkⅢのパーツを流用。
そのなかで採用されたのが、イーグル MkⅢで圧倒的な強さを発揮していた3S-Gのレーシングエンジンだったのです。
元々直6の2JZを採用していたこともあり、ロングノーズフロントヘビーな特性を持っていたスープラでしたが、直4で軽量コンパクトな3Sエンジンをエンジンルーム後方ギリギリまで下げて搭載したことにより、重量バランスが最適化。
運動性能を向上させることに成功していたのです。
しかし一方で、IMSAのエンジンをほぼそのまま流用したことで、燃費が悪くターボラグも酷い特性に。
これらの特性もあり、なかなか結果に結びつけることができていなかったのです。
しかしそんなGTスープラの転機は96年。
95年にワークス活動を休止したWRCセリカの量産型3SエンジンをGTスープラに流用することになったのです。
これにより、排気量は2.14リッターから2リッターへ縮小、エンジンの剛性は若干低下したものの、エンジン重量は20kgの軽量化を果たしたほか、WRCで用いられたウォーターインジェクションやフレッシュエアシステムなどの技術も継承される形となりました。
また、JGTCはグループAに比べエンジンの改造可能範囲が広く、元々完成度の高かったエンジンを更にアップデートすることが可能に。
すると翌97年にはシャーシも見直され、スープラが躍進。
6戦中5勝を挙げる活躍でシリーズを支配し、見事チャンピオンに輝いたのです。
その後もGTスープラの3Sエンジンは改良が続けられ、より大排気量の日産GT-R、ホンダNSXに対抗。
2001、2002年には連続王座を獲得しそのポテンシャルの高さを再び証明したのです。
JGTCではこの頃、3.5リッター以上のエンジンについて、リストリクター制限を緩和する措置が取られており、より大排気量のエンジンに移行したほうが有利であったことから、この年限りでGTスープラでは3Sの搭載が終了しましたが、3S搭載のスープラは3度の王座獲得で歴史に名を残したのです。
GT300のトヨタ車でも、この3Sエンジンは長く用いられ続け、2000年代後半まで息の長い活躍を見せており、2003年以降は前年までGT500に搭載されていたエンジン他、多くのコンポーネントを流用したZZT231セリカの登場が話題となりました。
2017年までレースで重宝され続けた名機3S-G
JGTCではターボの3S-GTEが活躍を見せていましたが、90年代中盤から後半にかけては、当時人気を博していた全日本ツーリングカー選手権(JTCC)でNAの3S-GEエンジンが重宝されました。
グループA規定の旧全日本ツーリングカー選手権(JTC)が再編される形で1994年にスタートしたJTCCでは、規定により2リッター以下の自然吸気エンジン、最高回転数8500回転という制限が設けられていましたが、この規定が3Sエンジンの仕様にマッチ。
チューニングにより300馬力以上を発生させるなど、そのポテンシャルを武器に、94、98年のシリーズチャンピオン獲得に貢献したのです。
そしてフォーミュラでも長きに渡り3Sエンジンは活躍することになります。
4気筒の2リッターエンジンが用いられるF3規格に合致する3Sエンジンですが、85年からトムスがチューンを施し全日本F3選手権に初登場。
この年から多くのエンジンメーカーが参入していた全日本F3でしたが、2年目の86年には初めてタイトルを獲得。
以降は20年以上もの長きに渡り、F3の主力エンジンとして広く使用され続け、2008年に設立されたNクラスを含めると2017年まで重宝される超ロングセラーエンジンとなったのです。
国内外で長く活躍を続け、歴史に残る活躍を支え続けたトヨタ、3Sエンジン。
その存在は間違いなく歴史に残る名機と言えるものでした。