オリンピック競技にモータースポーツがあったら…
そんな事をを考えたことがあるレースファンも多いと思いますが、
かつては実際に「モータースポーツのオリンピック」「モータースポーツのワールドカップ」と呼ばれたモータースポーツの国別対抗戦があったのです。
本日はかつて存在した国別対抗のフォーミュラレース、A1グランプリについて解説していきたいと思います。
国別対抗モータースポーツ A1グランプリって?
発足までのいきさつ
A1グランプリは世界初の国別対抗のフォーミュラレースシリーズとして2003年にドバイの王族の一人である、シェイク・ハシャー・マクトゥームが、FIAの支援を受けて発足。
2005年の秋からシリーズがスタートしました。
「モータースポーツのオリンピック・ワールドカップ」というコンセプトのもと、
各国の代表チームがレーシングチームと組む形で参戦し、ドライバーは各国の自国のドライバーのみが起用できるというルールになっていました。
誰もが考えたことがあるものの、実現できていなかった国別対抗レースというコンセプトや、レース界がオフシーズンとなる秋から冬にかけてシリーズか開催された事から、
開幕時はレースファンやメディアから大変注目を集め、シリーズ開幕戦となったイギリス、ブランズハッチでのレースのチケットは早々に完売。
ヨーロッパを中心に世界50カ国、2億9000万世帯に向けたテレビ中継され、当時では珍しいインターネットでのレース中継配信も実施されました。
レギュレーションについても独自のフォーマットを採用。
フォーミュラレースのシリーズでは、通常1台のマシンにつき1人のドライバーでレースウィークを戦う方式が広く採用されていますが
A1グランプリでは1台のマシンに最大3名までのドライバーの参加が認められ、金曜日のフリー走行から日曜日の決勝までの間、セッションごとに自由にドライバーチェンジが可能でした。
レースフォーマットのほうは、決勝レースで、24分のスプリントレースと69分のフューチャーレースの2レース制を採用し、
スプリントレースではフォーミュラレースでは珍しく、ローリングスタート方式を採用していました。
シリーズ発足当初のマシンは、ローラ製シャーシのワンメイクにザイテックの3.4L V8エンジンを搭載。
オーバーテイクを促進する目的で、一時的にエンジン出力を上げることができるパワーブーストボタンを搭載していました。
25カ国のチームが参戦!ドライバー陣も豪華!
話題になったA1グランプリですが、参加していたドライバーも当時の元F1ドライバーや、後にF1へステップアップしていくドライバーが多数参戦していました。
オランダチームからは、2021年のF1ワールドチャンピオン、マックス・フェルスタッペンの父親で元F1ドライバーのヨス・フェルスタッペンが参戦。
ほかにもセルジオ・ぺレス、ニコ・ヒュルケンベルグ、ネルソン・ピケJr、アレックス・ユーンなどが参戦していました。
日本チームも名門カーリンモータースポーツとのタッグで初年度のみ参戦し、
元F1ドライバーで、今は野田樹潤の父親としても有名な野田英樹と、2001年フランスF3チャンピオンの福田良、当時期待の若手だった下田隼成のトリオで参戦しました。
マクトゥーム会長の辞任でシリーズは迷走…
新しいモータースポーツカテゴリとしての地位を確立したかに思えたA1グランプリ。
発足2年目の06-07シーズンを迎えると、発起人であるマクトゥーム会長が「私の役目は果たした。今後のシリーズの発展は後任に託す」として辞任。
さらに07-08シーズンからは「GP2アジアシリーズ」がA1GPと同様秋冬開催のシリーズとして発足。
さらには国別対抗の新鮮味も無くなり始めてきた頃であり、シリーズの継続に暗雲がたちこめていました。
A1GPは世界転戦シリーズであることや、運営会社が競技車両を保有していることなどから莫大な経費が掛かっており、財政難への懸念も指摘されていました。
わずか4シーズンで…財政難によりシリーズ消滅
シリーズ発足4年目のシーズンとなった08-09シーズンは、車両がフェラーリのF1マシン「F2004」をモデルにしたものに変更。
財政難のなか、先代のローラより高額なフェラーリ製シャーシへの変更は賛否両論があったものの、
マシンが変わることでのスポンサーへのアピールや、シリーズの魅力度向上を狙いました。
しかし、イタリア、インドネシア、メキシコのラウンドが中止となるなど、混乱のシーズンとなり、開催数は7ラウンド14レースにまで減少。
シリーズ存続に暗雲が立ち込めていたA1グランプリは、翌09-10シーズンの開幕前には本格的な危機に陥ります。
開幕を5日前に控えた10月下旬にはついに、開幕戦オーストラリアラウンドの中止が決定。
その後、シリーズの運営母体であるA1GPホールディングスの子会社で、競技車両の保有会社であるA1GPオペレーションズが経営破綻。
シリーズはそのまま再開されることはなく、A1GPは静かにその短い歴史に幕を閉じました。
失敗に終わってしまったA1グランプリですが、先進的だったネット配信でのレース中継は現在では珍しくないものになり、回数制限付きでドライバーが操作できるパワーブーストシステムは、後に日本のスーパーフォーミュラのオーバーテイクシステムやフォーミュラEのファンブーストの先駆けとなるなど、後の様々なレースに影響を与えたといえます。