女性ドライバーをF1に送り出すことを目的として、2019年より女性に限定したフォーミュラシリーズWシリーズが発足し、
F1へのステップアップを掛けた戦いが繰り広げられていますが、これまでの女性ドライバーのF1での活躍はどのようなものだったのでしょうか。
今回はF1に参戦した女性ドライバー達について様々なエピソードとともに解説していきます。
過去にF1に参戦した女性ドライバー6選
マリア・テレーザ・デ・フィリッピス
F1に出場果たした最初の女性ドライバーは、イタリア人ドライバーのマリア・テレーザ・デ・フィリッピスでした。
マセラティの公式ドライバーを務めていたフィリッピスは、1958年にF1のノンチャンピオンシップレース、シラクサGPに出場。
非公式レースながら5位入賞を果たす活躍を見せました。
するとフィリッピスは、同年のF1の公式レース、第2戦モナコGPにエントリー。
始めてF1に参戦した女性ドライバーとなったのです。
このレースでは、予選落ちに終わったものの、第5戦ベルギーGPでは予選を19位で通過し、初めて決勝レースに出場。
フィリッピスは当時交際していた、同じくF1ドライバーのルイジ・ムッソが第6戦フランスGPの事故により他界してしまうという悲劇に見舞われてしまいますが、
悲しみを乗り越え第9戦ポルトガルGP、第10戦イタリアGPにもスポット参戦。
しかしムッソの他、親しいドライバーが相次いで事故の犠牲になってしまったことから戦意を失い、翌1959年限りで現役ドライバーから引退しました。
その後は、現役時代の縁からマセラティの名誉会長に就任しています。
レラ・ロンバルディ
イタリア人のレラ・ロンバルディは、1965年からモンツァでフォーミュラレースに参加すると、1968年にはイタリアF3選手権へ。
シリーズランキング2位に入る活躍を見せると、1970年にはフォーミュラ850で4勝を挙げ、見事チャンピオンを獲得しました。
1971年にはメキシコでフォーミュラフォードのチャンピオンを獲得し実力が認められ、1974年にイタリア自動車クラブの支援を受けて第10戦イギリスGPでF1にデビュー。
予選落ちを喫してしまったものの翌1975年は序盤2戦以外のすべてのレースに出走し、第4戦スペインGPでは6位に入賞しました。
これが女性ドライバーとして初のF1入賞です。
翌1976年も4戦にスポット参戦したロンバルディでしたが、この年はポイントを獲得することができず、同年限りでF1から離脱。
その後は主にスポーツカーレースで活躍しルマン24時間レースやアメリカのNASCARにも参戦するなど、多方面で活躍を続けました。
ディビナ・ガリカ
アルペンスキーの選手として1964年のインスブルックオリンピックに出場したディビナ・ガリガ。
その後のグルノーブルオリンピック、札幌オリンピックと、3大会連続でオリンピックに出場していたスキーのトッププレイヤーでした。
そんなガリカは周囲の勧めでレーシングドライバーに転向。
1976年にはF1マシンを用いて行われていたイギリスのインターナショナルシリーズに参戦し、シリーズ4位の成績を収めると、同年のF1第9戦イギリスGPにスポット参戦。
レースを始めてから今では考えられないほどの異例の速さでF1にデビューしたのです。
残念ながら、デビュー戦は予選落ち。
翌年の開幕2戦にもエントリーしましたが、結局予選を突破することはできませんでした。
F1での挑戦を終えたガリカはその後、ヨーロッパF2選手権などへの参戦を続けた後、アメリカのスキップバーバーレーシングスクールで講師を務め、長くインストラクターとして活躍しました。
デジレ・ウィルソン
デジレ・ウィルソンは、1975年、76年のフォーミュラフォード南アフリカ選手権で2年連続チャンピオンを獲得するとヨーロッパのレースシリーズへ進出。
1980年には、英国F1選手権で女性初の優勝を果たすと、世界スポーツカー選手権でも2勝を挙げ、FIA格式の公式レースで初めて優勝した女性ドライバーとなりました。
そんなウィルソンは同年のF1第8戦、イギリスGPにスポット参戦を果たしたものの予選落ちに終わってしまいます。
参戦はこの一度だけで以降F1に参戦することはありませんでした。
ウィルソンは、以降も世界耐久選手権を中心に様々なレースカテゴリで活躍。
2000年頃まで現役で活躍し、「世界で最も成功した女性レーシングドライバー」と評されるようになりました。
ジョバンナ・アマティ
資産家の令嬢、イタリア人のジョバンナ・アマティは22歳の時に本格的なレース活動をスタート。
1987年からは国際F3000に参戦したものの、参戦4年で最高位は7位、入賞ゼロと苦戦を強いられていました。
そんなアマティは1992年、F1にステップアップする予定だった日本の中谷明彦にスーパーライセンスが発給されなかったこと空きがでたブラバムのレギュラーシートを獲得しF1へ参戦。
ガリカ以来の14年ぶりの女性ドライバーのF1参戦に注目が集まりましたが、
開幕戦南アフリカGPでは、予選でポールポジションを獲得したナイジェル・マンセルの9秒落ち、チームメイトのエリック・ヴァン・デ・ポールからも4秒遅いタイムであえなく予選落ち。
その後、第3戦ブラジルGPまで参戦しますが、いずれも予選落ちに終わり翌第4戦スペインGPからはデーモン・ヒルにシートを譲りました。
スージー・ウォルフ
今のところ、最後にF1の公式セッションで走行した女性ドライバーは2014年のイギリスGP、ドイツGPでウイリアムズからフリー走行に出走したスージー・ウォルフ(スージー・ストッダート)です。
スージーはフォーミュラ・ルノー、イギリスF3を経て、2006年からはDTM(ドイツツーリングカー選手権)に参戦。
2011年には、後にメルセデスF1チームのマネージング・ディレクターを務める、当時ウイリアムズに所属していたトト・ウォルフと結婚します。
するとスージーは2012年よりウイリアムズの開発ドライバーに任命されることになり、2014年にはアマティ以来のF1公式セッションでの走行を果たしたのです。
しかしレースドライバーへの道は遠く、F1出場の高い壁を感じ失望したというスージーは2015年限りでレーシングドライバーから引退。
その後はF1の公式セッションで走行する女性ドライバーは出てきていません。