皆さんはかつてF1に大きな衝撃を与えた「スパイゲート事件」をご存知でしょうか。
スパイゲート事件とは、ともにF1の名門チームであるマクラーレンが、ライバルのフェラーリへのスパイ行為を行ったとされるF1史に残る一大スキャンダルです。
今回は、F1界を揺るがしたこのスパイゲート事件について解説します。
F1界を震撼させた一大事件「スパイゲート事件」とは?
【背景】マクラーレンとフェラーリによる熾烈な王者争いが展開された2007年
1990年代後半以降、ミハエル・シューマッハとともに低迷していたチームを再建することに成功したフェラーリは、2000年代に入ると黄金期に突入。
99年から2004年まで、6年連続でコンストラクターズタイトルを獲得(ドライバーズは5年連続)し、一時代を築き上げていました。
しかし、2005年にルノーの若手、フェルナンド・アロンソにタイトルを明け渡すと、翌2006年もタイトルを逃し、この年限りでミハエルが(1度目の)引退。
2007年からはフェリペ・マッサと、新たにマクラーレンからキミ・ライコネンを迎え入れて新シーズンに挑んでいました。
一方、2006年にタイトルを争ったエースライコネンをフェラーリに持っていかれたマクラーレンは、2年連続王者のアロンソをルノーから獲得し、さらにジュニアチームから期待の新人、ルイス・ハミルトンを大抜擢。
こちらも新体制で2007シーズンに挑むことになったのです。
新シーズンがはじまると、序盤からフェラーリとマクラーレンによる熾烈なチャンピオン争いが展開。
第7戦アメリカGPを終えた時点でアロンソ、ハミルトン、マッサが2勝、ライコネンが1勝と、4名のドライバーが優勝を分け合う緊張感のある展開が続いていたのです。
【疑惑】前代未聞の大事件の始まり
フェラーリとマクラーレンによる見ごたえのある王座争いがファンを沸かせていた2007シーズンでしたが、シーズン中盤頃のパドックでは気になる噂話が持ち上がっていました。
フェラーリのチーフメカニックである、ナイジェル・ステップニーが、第5戦モナコGPの際に自チームのマシンに妨害工作を行ったのではないかという疑惑が囁かれていたのです。
その後フェラーリが調査を行った結果、ステップニーはマシンの燃料タンクに白い粉を混入させた疑惑があると発表。
その後のさらなる調査で、ステップニーはフェラーリチームの機密情報を不正に持ち出し、外部に漏洩させていたことが発覚。
しかも情報を漏らしたした相手が、あろうことかチャンピオンを争うマクラーレンのチーフデザイナー、マイク・コフランだったというのです。
フェラーリはこれを受けてステップニーを解雇した上で、窃盗の罪で裁判所に提訴。
さらに、イギリス警察がコフランの自宅を家宅捜索したところ、フェラーリの機密文書が見つかり、受けたマクラーレンも、コフランを停職処分にしました。
そして、この一大スキャンダルにFIAも調査に乗り出すことを発表。
この騒動に対してフェラーリは機密情報を盗まれたことで、マクラーレンは、スタッフが独断で取った行動によりスパイ疑惑をかけられてしまったことで、それぞれ被害者であることを主張。
事件を巡っては単純にマクラーレンが利益を得るために、事件を首謀したという見方がある一方、フェラーリとしては元々スタッフとして不要な存在になっていたステップニーが、ライバルチームに移籍してノウハウを流出することを防止するため、彼が問題を起こしたかの様に見せて他チームが彼を欲しがらない様に仕向ける、フェラーリの自作自演なのではないかという声も聞かれており、真相解明が待たれました。
【波紋】審議会開催も疑問の残る裁定…
そして7月末。
この問題はFIA世界モータースポーツ評議会で審議されることに。
審議では、様々な調査からマクラーレンがフェラーリの機密情報を実際に所持していたことが実証され、国際スポーツ法典に規則に違反していることが明らかになったものの、その機密情報を利用してマシンを改良したり、レース戦略等で利益を得た証拠がないとして、マクラーレン側にペナルティを課さない判決を発表。
しかし、これに納得がいかないフェラーリ側は再審議を要求していました。
しかし、このフェラーリの動きに怒ったのはマクラーレンの代表、ロン・デニスでした。
デニスはマクラーレン側が独自に調査したという文書をマスコミに公開し、フェラーリに対する反撃を展開。
文書には、フェラーリが違法なフロアを使い開幕戦オーストラリアGPで優勝したことをステップニーがコフランに告発したことが事件の始まりだったことなどが記されており、チームの潔白を主張すると同時に、フェラーリのレギュレーション違反についても言及されていたのです。
次第に泥沼化していったこのスパイ疑惑問題ですが、その後ついにドライバーを巻き込んだ騒動に発展してしまうことになります。
きっかけは第11戦、ハンガリーGPの予選でのこと。
熾烈なチーム内競争により関係が悪化していた、マクラーレンのアロンソとハミルトンのあいだで事件が勃発。
Q3のコースインの際、チームの指示を守らず先にコースインしたハミルトンを快く思わなかったアロンソ(とチーム)はタイヤ交換のためセッション途中にピットインすると、作業終了後もそのまましばらくピットボックスに留まり、直後にピットに入ったハミルトンの作業を妨害。
このタイムロスによりハミルトンはラストアタックを行う時間を確保できずポールを逃す結果となったのです。(最終的にはアロンソにペナルティが下されハミルトンがポールに)
予選後、この件について、デニスはアロンソと話し合いの場を設けることになりますが、アロンソは、チームの指示を無視したハミルトンにチームとして懲罰を課すため、ハミルトンのマシンをレース中にリタイアさせるべきだと主張。
さらに、チームがその通りにしないのであれば、スパイ疑惑事件でマクラーレンに不利になるメールのやり取りを公表するとデニスに迫ったのです。
このアロンソの発言を受けてマクラーレンはすぐさまFIAにアロンソの件を報告。
スパイ事件にドライバーが関与していた可能性をチーム側が初めて知るきっかけとなったのです。
FIAは直前にドライバーが事件に関与しているという情報をすでに得ており、9月に入ると、マクラーレンのドライバー陣に、調査への全面協力を命令。
このドライバーの関与を新たな証拠として、再審議が開かれることになったのです。
【決着】裁定覆りマクラーレンは選手権から除外
そして、9月中旬に行われた世界モータースポーツ評議会での再審議。
ここではマクラーレンのドライバーとコフランのメールのやり取りの内容が明かされました。
その中ではマクラーレンのテストドライバー、ペドロ・デ・ラ・ロサがシーズン序盤、コフランに対し、フェラーリのマシンの重量配分やブレーキシステムについてメールで情報を聞き出し、その内容を一部アロンソに送信していたことが判明。
そのやり取りの中ではコフランがステップニーから情報を得ていたことや、アロンソがリークされた情報に対して「テストで試してみよう」と返答したことなども明確に記されており、7月の審議会で出された「マクラーレンがアドバンテージを得た証拠がない」という判決を覆すことになったのです。
マクラーレン側は、それだけではアドバンテージを得た明確な証拠にはならないと食い下がったものの、結局この審議会では前回の判決を覆し、マクラーレンに対して2007年の全コンストラクターズポイントの剥奪と、罰金1億ドル(120億円)のペナルティを課すことが決定。(罰金はその後減額)
さらに翌2008年のマクラーレンのマシンについても、漏洩した情報が用いられていないかFIAが監視するという措置が取られました。
当初はスパイ事件に関与したドライバーにもペナルティが課されることが濃厚と見られていましたが、マクラーレン側の嘆願によりこれは回避され、この年のドライバーズチャンピオンシップには影響が出ない形となりました。
この裁定が影響し第15戦日本GPではフェラーリのコンストラクターズタイトルが確定。
ドライバーズチャンピオンシップの行方は最終戦までもつれ込み、ライコネン、ハミルトン、アロンソが最後までタイトルの可能性を残していましたが、最終的にはライコネンがチャンピオンに。
スパイ事件に関与したコフランは停職状態となっていたマクラーレンから解雇され、その後2010年のF1へ新規参入を目指していた新興チーム、ステファンGPへ移籍。
しかし、大騒動を起こしたコフランがF1に戻ってくることへの懸念を示す者が多く、チームを離脱。
結局ステファンGPもF1に参入することがありませんでした。
その後、2011年にはウイリアムズにのテクニカルディレクターに就任しF1へ復帰したものの、2013年には不振の責任を取る形でチームを離脱し、以降はF1に関与していません。
一方、フェラーリの機密情報をコフランにリークし、チームを解雇されていたステップニーはフェラーリが訴えを起こしたイタリアの裁判でも有罪判決を受けたのち、2010年にはFIAGT1選手権に参戦するチームのマネージャーに就任していました。
しかし、2014年、ステップニーはイギリス国内の高速道路で車を停車させて車外に出て、後続の車に撥ねられて他界。
この事故にはステップニーが車外に出る動機や理由がないことから不審な事故として扱われ、スパイゲート事件と結びつけて議論するものも現れました。