莫大な資金が動くF1の世界で、資金難により撤退してしまったチームは星の数ほどありますが、かつてありとあらゆる問題行動を頻発させF1から追放されたことで撤退に追い込まれてしまったチームがあることをご存知でしょうか。
今回は問題行動が絶えず追放されてしまったチーム、アンドレア・モーダのF1挑戦の歴史とエピソードを解説していきます。
前代未聞のF1追放!アンドレア・モーダの歴史を解説
あのコローニを買収して誕生したアンドレア・モーダ
イタリアの小規模チーム、コローニは1989年の末に日本のスバルがチームの株式を半分取得し1990年は「スバル・コローニ」として参戦しましたが、
スバルがモトーリモデルニと共同開発した水平対向12気筒エンジンが失敗作に終わり、シーズン途中にスバルは撤退。
チームはフォード・コスワースにエンジンを切り替え、参戦を続けたものの、戦闘力が上がらず1991年は一度も予備予選を通過すること無く、資金難も進行進行していました。
シーズン終盤の第15戦日本GPでは、服部尚貴を起用し、一口2万円で個人スポンサーを募るという苦肉の策にも出ましたが、チーム状況は好転しませんでした。
1991年のシーズン終了後、そんなコローニを買収し、F1への参入を試みた者がいました。
イタリア人の実業家、アンドレア・サセッティです。
サセッティは、イタリアのシューズブランドを手掛ける会社を経営する、シルバノ・サセッティを父に持ち、
自身も父と同じくイタリアで靴を中心としたファッションブランド「アンドレア・モーダ」を創業。
そんなサセッティは母国イタリアのチームであるコローニが資金難に喘いでいることを聞きつけ、買収に乗り出したのです。
コローニを買収したサセッティは、チーム名を、自身のファッションブランドと同名の「アンドレア・モーダ」と名付け、1992年からF1に参戦。
アンドレア・モーダのスタッフの中にはサセッティの会社から出向したものもおり、中には靴工場の従業員から、レースメカニックに転身した者もいたといいます。
マシンについては前年にコローニが使用したマシン「C4」にジャッドV10エンジンを搭載したマシンを「C4B」として、ニューマシンが用意できるまでの間使用することになりました。
ドライバーには中小チームでF1参戦経験が豊富なアレックス・カフィと、89年にコローニからF1にスポット参戦し91年まで日本のF3000で走っていたエンリコ・ベルタッジアのイタリア人コンビが起用されました。
供託金未払い、ドライバーいじめなど…問題行動が耐えないチーム
こうして1992年のF1に参戦することになったアンドレア・モーダですが、開幕戦から問題が発生します。
チームは新規参入チームに支払いが課せられる10万ドルの保証金をFISAに支払わず、開幕戦南アフリカGPのエントリーを拒否されたのです。
サセッティは、チームがコローニを引き継いだチームであり、新規参入ではないため保証金を支払う義務はないと主張しましたが認められず、チームは南アフリカGPの欠場を余儀なくされました。
第2戦からはオリジナルの新車「S921」を投入。
しかし第2戦の地メキシコに乗り込んだものの、レースウィークになって突如出走を取りやめます。
これは新車S921の製作が間に合わず、出走できる状態ではなかったことが原因ではないかと言われています。
この体たらくに、カフィとベルタッジアもチームを批判。
すると批判に怒ったサセッティはなんと二人のドライバーを同時に解雇。
チームは翌戦から前年までベネトンをドライブしたロベルト・モレノとルーキのペリー・マッカーシーを起用することになります。
第3戦ブラジルGPではようやく出走が叶いましたが、厳しい現実を突きつけられることになります。
モレノが記録したタイムは、予備予選トップのベルトラン・ガショーの16秒落ちで予備予選落ち。
トラブルで満足なラップが刻めなかったとはいえ、公式予選でポールを獲得したナイジェル・マンセルからは23秒遅いタイムでした。
さらにチームは、ドライバー起用を巡ってドタバタ劇を繰り広げることになります。
解雇されたベルタッジアが、新たなスポンサーを引き連れ再度自分を起用するようにサセッティに迫ったのです。
するとサセッティはマッカーシーに代わりに再びベルタッジアを起用することをF1側に申請。
低迷していたチーム状況を打開するため、多額の資金をもたらすこのオファーにサセッティは期待を寄せました。
しかしF1側は、頻繁にドライバー交代を行うアンドレア・モーダに懸念を示し交代を拒否。
引き続きマッカーシーを乗せることを求めました。
多額のスポンサーマネー獲得のチャンスを失ったサセッティはマッカーシーの存在を恨み始め、以降彼に対して露骨な嫌がらせを始めるようになります。
サセッティはマッカーシーを予備予選のセッションでまともに周回数を走らせなかった他、
第9戦イギリスGPでは、ドライ路面の中、中古のレインタイヤで出走させ、第12戦ベルギーGPでは、ステアリング部分が壊れた状態で予選セッションに送り出すなどやりたい放題。
2台のマシンを出走させなければならないという規則上の義務を果たすためだけにマッカーシーを走らせているような状況でした。
サセッティの不祥事で前代未聞のF1追放
そんなチーム状況のなか、第6戦モナコGPではモレノが初の予備予選通過。
さらにモレノは、予選でも好タイムを記録し、30台中の26番手で予選通過。
奇跡とも言えるチーム初の決勝に進出しました。
決勝ではマシントラブルによるリタイアに終わったものの、チームの将来に光が見えたレースとなりました。
しかし慢性的な資金不足は解消せず、第7戦カナダGPではエンジンの使用料未払い(輸送トラブルの説もあり)によりジャッドエンジンが支給されず、
同じエンジンを使用するブラバムからエンジンを借りて出走。
さらに第8戦フランスGPでも機材がサーキットに到着せず欠場。
この頃になるとマシン2台分のパーツを用意できず、モレノがタイムを出したあとマッカーシーのマシンにパーツを載せ替え走行させていたといいます。
チームはFISAから再三の注意勧告を受けていましたが、さらに深刻な問題がチームを襲います。
第12戦ベルギーGPのレースウィーク中に、サセッティが通関文書を偽造したとして現地の警察当局に逮捕されてしまったのです。
この事態にさすがに我慢しきれなくなったFISAはアンドレア・モーダ及びサセッティがF1の信用を失墜させたとして、前代未聞の選手権からの追放処分を発表。
今後のアンドレア・モーダのエントリーを一切拒否しました。