BMWはその輝かしい歴史の中で、モータースポーツの舞台でも数々の伝説を築いてきました。
その中でも特に注目されるのが、F1参戦を通じて見せた革新の数々ですが、ターボ全盛時代には、最大1400馬力にも達すると言われたハイパワーのM12エンジンで栄光を掴みました。
しかし、栄光の裏には技術革新への絶え間ない挑戦と、多くの困難がありました。本記事では、BMWがターボ全盛時代のF1で果たした役割とその挑戦の軌跡について詳しく振り返ります。
BMWのF1活動 ターボ時代の挑戦
BMWは航空機エンジンの製造をルーツに持つメーカーで、1929年から自動車製造を開始しました。そんなBMWが初めてF1に参戦したのは1950年代。
戦後、技術の蓄積を目的にフォーミュラレースへ参入し、F2エンジンを開発。自社チームでの参戦やプライベーターへのエンジン供給を行いました。
その一環として、1952年と1953年のドイツGPでスポット参戦を果たします。しかし、この時期のF1活動は本格的なものではなく、単発の試みでした。
その後、F1ではコスワースDFVエンジンが主流となり、自動車メーカー間の競争は停滞しましたが、1970年代後半には技術革新が再び加速。
ルノーがターボエンジンを導入して成功を収め、フェラーリもターボ開発に着手。F1は新たな時代を迎えようとしていました。
この流れを受け、BMWも本格参戦を決意します。
1970年代前半、BMWは量産車「2002ターボ」で世界初の市販ターボ車を発表。
さらに、グループ5レースでターボ技術を駆使して成功を収めていました。F2で使用していたM12エンジンもターボ化に適した設計で、直列4気筒の鋳鉄ブロックが強みでした。こうした背景から、BMWはF1への本格参戦を決定し、1980年に正式発表。注目を集めることになりました。
当初はマクラーレンとの提携が計画されていましたが頓挫。
最終的にブラバムと手を組み、F1への挑戦を本格化させます。F2用のM12エンジンを基に開発されたM12/13エンジンは、1.5リッターターボ仕様に改造され、登場時には570馬力を発揮しました。
苦難のスタートと初勝利への道
1981年、ブラバムのマシンに搭載されたM12/13エンジンがイギリスGPのフリー走行で初めて出走。
この際、コスワースDFVエンジン搭載時よりも27km/hも速いトップスピードを記録し、そのポテンシャルの高さを示しました。
しかし、実戦投入後は信頼性の問題に苦しむことになります。
特に1982年の初期には、オーバーヒートやピストントラブルなどでエンジンブローが頻発し、1回のテストで9回もエンジントラブルを起こすこともありました。
開幕戦ではターボの不具合が発生し、チームは一時的に前年型のマシンに戻す事態に。
しかし、第5戦ベルギーGPではネルソン・ピケが5位入賞を果たし、第8戦カナダGPでは初優勝を飾ります。BMWエンジンとしての初勝利は、F1における歴史的瞬間となりました。
技術革新とパワー競争
1983年、BMWはエンジンの信頼性を向上させ、さらにパワーアップを実現。
予選仕様では800馬力以上、実際には1400馬力とも言われる凶悪なパワーを発揮しました。
この年、BMWは特殊燃料を採用。高濃度トルエンを混合した燃料を使用することで、ターボエンジンの高いブースト圧にも対応可能にし、他メーカーを圧倒しました。
こうしてBMWエンジンを搭載したブラバムは開幕戦で優勝。
シーズン後半には更なる改良が施され、ピケが3勝を含む8回の表彰台を獲得。
最終的にピケはドライバーズタイトルを手にし、BMWにとって初のF1タイトル獲得となりました。
苦境と迷走、そして撤退
しかし、翌1984年にはレース中の給油が禁止されるなどのレギュレーション変更がBMWを苦しめます。
燃費性能の低さを補うため、さらにブースト圧を上げた結果、信頼性の問題が深刻化。
1986年には新設計のBT55に低全高エンジンを投入しましたが、オイル循環の問題などでトラブルが多発し、成績は低迷しました。
FISAがターボ規制を進めたことも影響し、BMWは1987年をもってF1からの撤退を決定。
その後はプライベーターへのエンジン供給に活動を縮小し、1988年を最後にターボエンジンがF1から完全に姿を消します。
息の長い活躍と次世代へ
BMWの直4ターボエンジンは、その後もハイニマーダーチューンの形でATSやアロウズ、ベネトンに供給され、一定の成功を収めました。
特に1988年、アロウズがM12エンジンを搭載してイタリアGPで3位に入賞するなど、そのポテンシャルを発揮しました。
F1ターボ時代を象徴するエンジンとして、BMWのM12はその後も語り継がれる存在となりました。
BMWはその後、2000年代にウィリアムズとの提携でF1に復帰。
再びエンジンサプライヤーとして活躍することになりますが、ターボ時代の挑戦と栄光は今なおファンの記憶に深く刻まれています。