1923年に第1回大会が開催されてから約100年の歴史を持つ伝統のレース、ル・マン24時間レース。
その栄光を手にするべく、数々の名車が生み出されていった一方、大変めずらしい「珍車」も多数参戦していました。
今回は、ル・マン24時間レースに参戦し話題となった珍車を紹介していきたいとおもいます。
ルマン24時間レースに参戦した珍車たち
フェラーリ250GT「ブレッドバン」
1962年のル・マンに登場したフェラーリ250GTの「バン仕様」は周囲に衝撃を与えました。
レーシングコンストラクター「ATS」の創設者であるジョバンニ・ヴォルピ伯爵は、前年にフェラーリを解雇された、エンジニアのジオット・ビッザリーニ、カルロ・キティらを雇用しました。
ヴォルピはこの年のル・マン24時間レースの参戦車両としてフェラーリ250GTOを発注したものの、ヴォルピがビッザリーニやキティを雇用していることを知ったエンツォ・フェラーリが激怒。
フェラーリは車両の提供を拒否したのです。
そこでヴォルピは、所有していた旧型の250GT-SWBでル・マンに出場することを決めたものの、旧式のマシンでそのまま出場しても最新型の250GTOに勝てないと判断。
250GTに大きく手を入れることになります。
開発を任されたビッザリーニは、フェラーリ所属時代にはやらせてもらえなかった斬新な空力思想を取り入れたマシンを開発。
完成した250GTは空力性能の向上を狙ってルーフラインがそのまま後方まで伸びる、ワゴンやバンのような形状になったのです。
その形から「ブレッドバン」(パン屋のバン)と呼ばれ、世界中のレースファンを驚かせました。
打倒本家フェラーリを目標にル・マンにエントリーしたこのブレッドバンは、最高速度でワークスチームのGTOを7キロ上回る性能を発揮したものの、
レースではマシントラブルに見舞われ、リタイアとなってしまいました
ローバー・BRM
イギリスのローバーと、レーシングコンストラクターのBRMが共同開発し、1963年のル・マンに初めて投入した「ローバー・BRM」は珍しいガスタービンエンジンを搭載したレースカーとして話題になりました。
ガスタービンエンジンは、小型軽量で高出力が望める反面、部分負荷時の燃費が悪いという欠点があり、
稼働時の大半が部分負荷の状態となる自動車のエンジンには不向きとされていました。
軍用機開発などで得たガスタービンエンジンのノウハウを、自動車にも活かしたかったローバーはレースでその性能を試すことを画策することになります。
F1に参戦していたBRMから、レースでダメージを受けたシャーシの提供を受け、その車体を改造し製作されたローバー・BRMは
賞典外のテストカーとして1963年のル・マンにエントリー。
ガスタービン特有の静かな走行音でサルト・サーキットを走るその姿は「サイレントゴースト」と呼ばれました。
構造上エンジンブレーキが全く効かず、その影響で負担の大きかったブレーキの耐久性が懸念されたものの
快調な走りを続けたローバー・BRMは他の車たちと遜色ないペースで走り続け見事総合8位で完走。
ギヤは1速のみで、非常にレスポンスが悪いマシンだと言われていたものの、当時のコーナーが少ないサルト・サーキットのレイアウトにも助けられた結果だったと言えます。
ローバー・BRMはエンジンに改良を加え64年、65年もル・マンに参戦し、65年はテストではなく、正式な競技車両として参加。
グラハム。ヒルとジャッキー・スチュワートのコンビで総合10位を獲得し、ガスタービンエンジン車のル・マン挑戦は一定の成果を出すことに成功しました。
ナルディ・ビシルーロ
自動車のステアリングメーカーとして有名なイタリアのナルディは、かつては本格レーシングカーを製作しルマンに参戦していました。
ナルディの創設者、エンリコ・ナルディは、もともと自動車エンジニア・デザイナーとして活躍し、多くの市販車やレーシングカーの開発、設計に携わるカリスマ的存在でした。
1951年からは自社でステアリングの製造を手掛けるようになり、多くの自動車メーカーや自動車愛好家から支持を得ていたのです。
そんなナルディは1955年にル・マンに参戦するべくオリジナルマシン「ビシルーロ」を製作。
双胴魚雷の意味を持つの名を与えられたマシンは、左右非対称の特徴的なボディ形状を採用。
片側にドライバーのコクピットと燃料タンク、もう片方にエンジンとトランスミッションを配置し、左右の車体バランスを意識した設計となっていました。
55年のル・マン参戦したナルディ・ビシルーロでしたが、序盤に他車に追い抜かれた際の風圧でコース外に吹き飛ばされあえなくリタイヤ。
残念な結果に終わってしまいました。
日産・デルタウイング
2009年、アメリカのインディカーシリーズが募集していた2012年用のマシンコンペに応募するために設計された日産デルタウイング。
その名の通り上から見ると三角形を描く斬新な車体形状が話題を集めましたが、インディカーは2012年用のマシンとしてダラーラが設計した案を採用することになり、幻のマシンになってしまうかに思われました。
しかし、のちにIMSAのオーナーであるドン・パノス、アメリカのコンストラクター、オール・アメリカン・レーサーズ、ハイクロフトレーシングが共同で
ル・マン出場を目指すプロジェクトを始動させると、このプロジェクトに日産も参画します。
そこで使用されることになったのがこのデルタウイングでした。
マシンはインディの公募時からモディファイが加えられ、2012年のル・マンに特別枠でエントリーしました。
ドライバーはミハエル・クルム、本山哲、マリーノ・フランキッティを起用。
レースでは好走を見せていたものの、序盤にトヨタTS030の中嶋一貴と接触しリタイヤ。
ルマンでの挑戦は残念なものになってしまったものの、以降はアメリカの耐久レースを中心に活躍を続けました。