2000年代のF1で勃発したブリヂストンとミシュランのタイヤ競争。
最高峰カテゴリのF1で、世界を代表するタイヤメーカー2社による熾烈な技術競争が行なわれていました。
しかし、そんな中、2005年にはミシュランタイヤの問題を巡り、F1の歴史に残る最悪の事件が巻き起こってしまいます。
今回はミシュランタイヤの問題により7チーム14台がレースを棄権した、2005年のF1アメリカGP、通称ミシュランゲート事件(インディゲート事件)について解説していきます。
【背景】ひとつののクラッシュから始まった大問題
2005年アメリカGPはこの年のF1第9戦として伝統のインディアナポリスで開催されました。
この年のF1はレギュレーションが変更され、予選と決勝を通じて1セットのタイヤしか使用してはいけないという、いわゆるタイヤ交換禁止ルールが設定されていました。
そして迎えたアメリカGPの金曜日のフリー走行、ある事故を発端にF1史に残るとんでもない事件に発展していきます。
午後のフリー走行でトヨタのラルフ・シューマッハがオーバルコース区間を使用した
ターン13で左リアタイヤがバーストしてクラッシュ。
ラルフは前年も同じ場所で大事故を起こし6戦の欠場を余儀なくされており、2年連続のクラッシュとなってしまいました。
幸いラルフは大事に至らなかったものの、レースを欠場。
トヨタは代わりにリカルド・ゾンタを出走させることを決めます。
ミシュランがクラッシュの原因となったラルフのタイヤを調査した結果、タイヤのサイドウォールが著しく摩耗してた事が判明しました。
そしてさらに、ほかのミシュランユーザーのタイヤを調査したところ、やはり同じような摩耗が確認されたのです。
インディアナポリスのF1開催コースでは最終コーナーにオーバルコース区間を使用しており、バンクが付いているため、ほかのサーキットではかからないような想定を超えた負荷がかかります。
これにより、タイヤが偏摩耗を起こしてしまったのです。
この偏摩耗状態でさらにタイヤに負荷がかかり続けた結果、タイヤが元々想定した耐久力を超えてしまい、ラルフのタイヤがバーストしてしまったということです。
しかしバーストした原因についても当時現場では推測レベルでしか分析することが出来ず、ミシュランはタイヤを供給する7チームに対して、「タイヤがバーストした原因は特定できない」と報告。
ミシュランは対応に追われ、アメリカGPに持ちこんでいた別スペックのタイヤの使用を検討しますが、結局別スペックのタイヤにも同様の問題が発生することが分かりました。
【波紋】ミシュランユーザーボイコットの危機
土曜日、ミシュランのモータースポーツ部門の責任者だった、ピエール・デュパスキエは、F1のレースディレクター、チャーリー・ホワイティングに対して、「ターン13で速度を落として走行しなければ、10周以上走った場合の安全を保証できない」と伝えパドックに激震が走りました。
これにより、ミシュランを履く7チーム14台が、レースに参加できない可能性が浮上し、ミシュランとミシュランユーザーのチームたちは、なんとか安全を担保しつつ、レースに出場する方法を模索し始めます。
チーム側からは別のタイヤを持ち込む、ターン13にシケインを設置する、など対策案が提案されますが、ホワイティングはこれを却下。
別タイヤの使用については、レギュレーション違反になるとの見解を示し、シケインの設置については、FIAに承認されたコースレイアウト以外でF1の公式レースを開催することはできないとしました。
また、ミシュランが持ち込んだタイヤが安全でないことを理由にそのようなことを行うのは、適正なタイヤを持ち込んだブリヂストンを使用するチームに対して不公平だという見解も示しました。
ホワイティングは解決策として、ミシュランを履くチームが自主的にスローダウンして、ターン13を安全な速度で通過するか、ペナルティを受けることを覚悟で何度もタイヤを交換しながらレースを走ることを提案します。
妥協案が見つからない中予選は行われ、ミシュランユーザーである、トヨタのヤルノ・トゥルーリがポールポジションを獲得。
上位4台がミシュランユーザーとなり、ブリヂストンユーザーの最高位はミハエル・シューマッハの5位でした。
そして決勝日の朝、チーム代表、バーニー・エクレストン、ミシュランの代表者らが集まり、最終的な対応を協議することになりますが、フェラーリの代表ジャン・トッドは「ミシュランの問題だ」として協議への参加を拒否します。
代表者達の協議ではまず、シケインの設置、ミシュラン装着者のスローダウンやタイヤ途中交換が検討されますが、全て意見がまとまらず却下となります。
その後、ドライバーを交えた協議なども行ったのち、チーム代表側から、非選手権レースとして開催するか、ミシュランユーザーのみシケインを通過してチャンピオンシップポイントの対象外とする案が提案されます。
シケインの設置には特にフェラーリが否定的だったとされていましたが、強硬策でシケインを設置してフェラーリが欠場したとしても、非選手権レースとして開催したほうが、F1の利益のためには良い、という見解をチーム側は示しましたが、FIA側は、「FIAのルールを無視してレースを行った場合はFIAの全てのスタッフを現場から引き上げる」としました。
このグランプリにきていなかったFIAの代表、マックス・モズレーものちに電話で会議に参加し、非選手権レースやシケインの設置を改めて拒否しました。
結局、興行として成立させるために、非選手権レースとなったとしてもシケインを設置すべきとしたミシュランユーザーを中心としたチーム側と、あくまでミシュランが原因で起こった事だからミシュランユーザーが自主的に対応することで対応すべきだとしたFIAの意見が最後までぶつかる形となり、妥協案を見出す事ができませんでした。
これにより、全員が妥協できる解決策を見いだせなかったミシュランユーザーの
チームは、ついにレースに参加しない事を決定します。
ミシュランユーザーのチームと協力して解決策を探っていたブリヂストンユーザーのジョーダンとミナルディは、直前までレースに参加するべきか検討しますが、最終的には参加することを決定します。
【前代未聞】たった6台の決勝レース
決勝レース前には「ミシュランユーザーが参加しないかもしれない」という情報がすでにメディアなどでも飛び交っていましたが、決勝レースのグリッドには、全20台が揃いました。
しかし、ミシュランを履く14台はフォーメーションラップを終えるとそのままピットに戻り、レースを棄権。
グリッドにはブリヂストンを履く、フェラーリ、ジョーダン、ミナルディの3チーム6台のマシンが整列し、スタートがきられるという、前代未聞の光景が展開されました。
多くのファンはこの光景に失望し、観戦に訪れたファンはミシュランユーザーがピットに入ると大ブーイングを浴びせ、コース上にはゴミが投げ込まれるたりと異常な雰囲気となりました。
テレビ中継も、ミシュランユーザーの棄権がわかると、一部の国ではレース中継が途中で打ち切られました。
レースは、フェラーリ2台のトップ争いが展開され、ミハエルがこのシーズン初の優勝。
これが結局2005年唯一の勝利となりました。
ジョーダン、ミナルディの4台による表彰台をかけた戦いは、ジョーダンのティアゴ・モンテイロが入り、F1キャリアで初の表彰台を獲得しました。
この事件はのちにインディゲートと呼ばれ、レース後、ファンの間でも様々な議論がされ、安全なタイヤを用意出来なかったミシュランはもちろん、チーム側の要求を頑なに拒否したFIAにも批判が及ぶなど、物議を醸しました。
また、ミシュランユーザーのチームについても出走拒否や、レースに適したタイヤを用意できなかった事に対して国際モータースポーツ競技規則に定められている、「モータースポーツ全般の不利益になる行為」を行ったとして、世界モータースポーツ評議会で有罪であると判断されました。
そして、ミシュランは、アメリカGPを観戦したファンに対する補償を発表。
2005年のシーズン終了後に、インディアナポリスで追加レースを行われる案も検討されましたが、結局これは実現しませんでした。