クルマの雑学

【プロより速い変速のAT】ポルシェPDKとは?その仕組みや歴史を徹底解説

今やポルシェを語る上では欠かせない技術と言えるPDK。

プロドライバーより速いオートマシフトを可能にしたと言われるその技術には、40年にも及ぶ長い開発エピソードが隠されていました。

今回はポルシェのトランスミッション、PDKの仕組みや歴史を紹介します。

プロより速いオートマ!?ポルシェPDKとは?

PDKはポルシェが開発したデュアルクラッチ式オートマチックトランスミッションのことで、ポルシェドッペルクップルングの略称です。

ドッペルクップルングとはドイツ語でデュアルクラッチトランスミッション(DCT)を意味します。
このシステムにより、プロドライバーのマニュアルシフトを超える素早いシフトチェンジがオートマチックトランスミッションで可能になりました。

まずDCTについてですが、これはギアが2系統に分かれていて、それぞれにクラッチがあるトランスミッションです。
その特徴はマニュアルトランスミッション(MT)のようなダイレクト感とオートマチックトランスミッション(AT)のような操作のかんたんさ、そして素早いシフトチェンジを可能にしています。

DCTは、マニュアルトランスミッション(MT)を自動化したAMTと同じく、クラッチペダルがないためAT限定免許でもPDKやDCTの車を運転することが可能です。

マニュアルトランスミッションでは、ギアの切り替えの間、ギアが繋がっていない時間が必ず発生します。これはシフトチェンジがどんなに速いプロドライバーでも縮めるのに限界があるためです。

そこで考え出されたのが、ギアとクラッチを2系統に分け、次のギアのドグクラッチを繋いで摩擦クラッチは繋がない状態で待機させておくことで、素早くシフトチェンジができるDCTのシステムです。

ポルシェPDKの仕組みとしては、1速、3速、5速、7速を奇数段用クラッチに、2速、4速、6速を偶数段用のクラッチに振り分け接続されています。
次のギアのドグクラッチを繋いで待機させたり、2つのクラッチを同時に半クラ状態にできるので、連続的に素早い変速が可能なのです。

PDKはマニュアルとオートマチックの2つのモードがあり、マニュアルモードではシフトノブを前に引くことでシフトアップ、後ろに押すことでシフトダウンが可能。

また、オートマチックモードでは、PDKの優れたトランスミッション技術を駆使して、フットブレーキを用いたシフトダウンを実現しています。

開発に40年!?ポルシェPDKの偉大な歴史

PDKの開発は1960年代後半と古く、ポルシェのトランスミッション開発部門のエンジニア、イムレ・ゾッドフリッドによって考案されました。

当時、ポルシェのトランスミッション開発部門はシンクロメッシュ機構という画期的なMT技術を開発し、次なる目標としてDCTの開発を掲げていました。ゾッドフリッドはそのアイデアをポルシェの開発責任者だったフェルディナント・ピエヒに提案したのです。

当時のATは欠点も多く、MTの伝達効率とATの操作性を併せ持つPDKの開発が目指されました。
しかしながら、当時の技術では高性能な電子制御機器や油圧バルブなどが不足していたため、PDKの開発は一時停止となってしまいます。

しかし、1980年代初頭になると、エンジニアのライナー・ヴューストが社内でPDKのプロトタイプを発見し、再開発に着手。
その後、油圧式への改良や電子制御機器の組み込みなどを行い、PDKは採用目前のレベルまで達しました。

そこで、新開発のPDKを当時人気を博していたプロトタイプレース、グループCカーのポルシェ956に搭載し、実際のレースで試すこととなりました。

956はPDKの採用によりシフトスピードの向上や確実なシフトダウンが可能となり、コーナー進入時にブレーキの使用が容易となりましたが、テストではクラッチ制御が完璧ではなく、車体を蹴り上げるような衝撃が発生し、トランスミッションやドライブシャフトに大きな負担がかかる問題も露呈したのです。

レース環境で得られたデータを基に、開発チームはトランスミッションの大幅な軽量化やエンジンとの協調制御などの改良を行いました。その結果、改良型PDKは956の進化版である962Cにも搭載され、ルマン24時間レースで1982年から1987年まで6年連続の優勝を果たしました。

その後、PDKは956の後継者である962C、アウディのラリーカーであるスポーツクワトロなどにも搭載されましたが、信頼性やコストの問題から量産車への採用は再びお蔵入りとなっていたのです。

しかし、時が流れ2000年代に入ると、当時フォルクスワーゲンの会長を務めていたピエヒが、PDKの市販化モデルへの搭載をヴューストに持ち掛けました。

1980年代では技術的に不可能だったことも、2000年現在の進歩した技術ならば、市販化も可能と考えられたのです。
ピエヒはPDKの発案からレースでの活躍までを見てきた一人で、その行く末を見守ってきたと言っても過言ではありません。

そうして、ゾッドフリッドが発案してから40年近く経った2008年に、PDKはついにポルシェ911カレラに初採用され、市販化することとなりました。

その時点で、開発を始めた時はまだ30代前半だったヴューストも60歳前後となり、シャーシの開発責任者へと昇進していました。
「PDKを搭載した車が街中を走っているのを見ると、その中に私の一部が存在していると感じる」とヴューストも喜びを露わにしていました。

さらに、2009年にはボクスターやケイマンにPDKがオプション設定され、パナメーラでは一部のモデルを除き、初めてPDKが標準搭載されました。
その後も多くのポルシェの市販車に採用され、現在では多くのポルシェの車ににPDKが採用されています。

しかし、登場まで長い年月を要したことから、PDKが市販化される前にはすでにDCTが登場していました。

そのため、事情を知らない人にはポルシェが後追いでDCTを開発したように見えるかもしれませんが、実はその何十年も前から開発を続けていたのです。

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レイン@編集長
F1・モタスポ解説系YouTuber。 レースファン歴数十年です。 元アマチュアレーサー。 某メーカーのワンメイクレースに5年ほど参戦していました。
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